4年目の春

大変ご無沙汰しております。もう修了式の時期なのですね。自身が出席した日が昨日の事のように思われます。

添付いたしました写真は、昨日地元で開催されました追悼式の様子です。昨年と同じ会場です。昨日は、かなりの暴風のため、屋外で黙禱すると飛ばされそうで、皆さん建物の中に避難祈りを捧げておりました。会場では、3月8日から夕方蝋燭を灯す予定でしたが、8日、9日と大で、やっと10日と当日夜灯す事ができました。そういえば4年前の3.11は雪が降っていました。霊碑は未だ無いので、写真のように、知り合いの蝋燭を見つけては、座り込みそれぞれの想いに浸っている様子でした。





今年の3.11は平日でしたので、行政主催の式典は3月8日の日曜日に実施されました。昨日11日は、午前中に同窓会の皆様から寄せられた児童書で読み聞かせをし、子供向けのミニコンサートを開催いたしました。午後からは、地元ボランティア11団体の協力で「東日本大震災ふくしまこども寄付金」の募金活動を実施いたしました(被災した子供達の就学支援にあてられます)。また今月いっぱいかけて、大学ボランティア部とともに献血や、地元中学生の合唱、琴の演奏会などを実施する予定です。

もう4年と思う時もあれば、辺りを見渡し、まだ4年と呟く日もあります。

福島県から県外への避難者は、確認されているだけで約5万人います。県内において仮設、災害住宅へ避難中の人にいたっては7万2千人です。過疎地域が多く点在する東北の片田舎にとっては、大変な数字です。特に4年という月日が変えたものは、子供達の生活基盤です。県外へ避難した子供達は、すでにその地で入進学、就業を迎えています。子供達の福島への帰還はほとんどありません。また震災後4年ということで、チェルノブイリの事例と福島との比較がメディアに多く取り上げられ、インフラの復興に隠れていた、本当の意味の福島の長い闘いが始まろうとしています。

原発事故当日、自治体のバスで爆心地の風下(当時はとにかく遠くへ逃げる事が先決だったので、風向き等は考える暇も無かったといいます)に避難した同僚等のお子さん達の、甲状腺検査結果がA2で、動揺が走っております。A2の場合、のう胞やしこりが小さいので様子を見るという段階です。そうはいっても保護者の側にしてみれば、放射線はおろか、病気についての知識も皆無で、子供のこれからの経過については不安しかありません。行政や医療機関からの「普通に生活できます」という説明だけでは冷静でいられるはずもありません。

民間で開かれている勉強会や保護者同士の集まりなどに参加しても、我が子の未来に責任を感じて(バスが別の道に逃げてくれていたなら、あの時泣く子をあやすのに車から降りなければ…等々)思い悩んでばかりいると零しています。この子供達の人生が続く限り、被災の時間は終わらないのです。

日配売場(パンや牛乳、豆腐など)を担当している同僚の携帯に「お子さんの健康状態の件でご相談が…」という連絡が、担任の先生から来ました。同僚は真っ青になって早退し、学校に向かいました。ほとんどパニック状態で「先生!息子の判定結果が何か?!」と息せき切って聞くと「ええ、過度の…」「過度のっ?!」「肥満です」

先生曰く、息子さんは小学4年生ですでに56kgあり、運動が嫌いで、給食もかなりの過食です、このままでは中学に入るまでに成人病予備軍になってしまいます云々。見たところ原因は、お母さんの体系によるところが多そうです、生活習慣を改めましょう、と注意されたそうです。「甲状腺かと思ったから安心したけど、何気に先生失礼だよね~」とお弁当の他にパンを食べながら笑っていました。一方、彼女の旦那さんは50kg弱のとても痩せた方です。「おかずが問題なのかなぁ」と聞くので、その場にいた同僚全員口を揃えて「量!」と叫んでしまいました。

まだまだ4年。福島が抱える不安や不信感を克服する為には、住民自身が放射能やその影響について学んでいくしかないのです。与えられた知識では、子供に未来を語れません。松岡先生の『学歴ではない、生涯の教育歴』という言葉が、5年目を迎える福島のこれからに最も必要な考えだと感じました。

  福島の今を伝える「いわき通信」

先日は恩師がお忙しい中、貴重な休日を使っていわきへ起こし下さり、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

震災後の福島を先生方をはじめ、同窓会も皆さんのご尽力によって、報道とは違う側面で情報を発信し続けてこれましたことに心から感謝いたします。文化情報研究科というに分野で学べたからこその『いわき通信』だと思います。このHPよって原発事故後から継続して【福島の今】に触れる場を作って頂きありがたい気持ちでいっぱいです。
お越し下さった先生には、4年の歳月で地盤が沈下し海抜がゼロの状態で、汚染水が打ち上げられている道路や事故後から放置状態で劣化した汚染袋を見て頂きました。先生ご自身の目で福島の今を見て下さったことがとても嬉しかったです。

見聞きした内容を一方的に報じるのではなく、受け取った側からの意見も得られる視点での掲載は総合社会情報研究科ならではの環境であると思います。多くの情報は、政治や思想、科学的専門知識をもってして様々に分析され、報道されていきます。メディアは日々、新しい紛争、事故、災害を報じ、昨日の事件を振り返る間もありません。東日本大震災についても、毎年3月11日に合わせ、特集を組まれる過去の史実となりつつあります。報道がそのような形態にあっても尚、『いわき通信』を通して福島の日常を支援し続けて下さっている日本大学大学院総合社会情報研究科ならびに同窓会の皆様の姿勢に、頭が上がりません。

2011年3月の修了祝賀会の壇上にてお話させて頂きました「ランドセル一つを抱え泥にまみれ裸足で逃げてきた少女」は今年4月、おかげさまで中学生になります。汚染水、中間貯蔵施設、廃炉などの単語が、「おはよう」「いただきます」と同じ日常にあるこのいわき市で彼女は高校へ進学し、卒業後は地元の看護学校で学び、ふるさとで看護師として働きたいと語ってくれました。

先日、いわきへいらっしゃった松岡先生には、お荷物になってしまうと知りつつ子供達の描いた壁新聞をお渡ししてしまいました。連休中の混雑した電車の中、さぞ置き場に困ったことでしょう。先生ごめんなさい。ガサばる大きな筒を胸にかかえ、手を振って帰られた先生の後姿に、【寄り添う】ということの尊さを教えて頂きました。拙くも一生懸命描いた壁新聞の中に、是非、皆様が支え続けた少女を探して下さい。そしてまた、いつの日か機会がございましたら、3.11に福島に生まれた子供達が描く壁新聞を、皆様のもとへ届けたいと思っております。私が総合社会情報研究科で学んだこと、それはこの「未来への情報」を発信し続ける事だと考えております。

支援を続けて下さった大学院関係の皆様、同窓会の皆様へこのページを通じて感謝をお伝えいたします。顔も見せずに文面だけで申し訳ございません。ご無礼をどうかお許し下さい。修了式後も、皆様またあらたな季節に向けてまた多忙な毎日を送られることかと思います。どうかお体大切に、そしてまたいつか皆様の笑顔に会える日を楽しみにしております。
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