情報の共有—草刈りと芋堀で思ったこと

こちらでは朝7時50分に店の周辺及び通学路を草むしりしています。参加の女性陣は、帽子の上から更にタオルで顔を覆ってしまうので、声を聞かないと誰が誰だかさっぱりわかりません。加えて東北人は無口なので皆さん黙々と鎌で草を刈り続けます。終了後、鎌と引き換えに、ペットボトルのお茶をお礼に差し上げているのですが、いつまで待っても帰って来ない専門店の店員さんが一人。売場にも戻っていないとのことで、慌てて周辺を駆け回って捜索したところ、店からだいぶ外れた道端で【馬に喰わせるほど】の草(こちらの人達は、食べ物でも何でもとにかく「大量のモノ」を表現するのに「馬のエサ」を用います)を一心不乱に刈り込んでいる女性を発見。複数でお喋りしながら作業をしてくれると、お互い切のいい頃合いが分かるものなのですが、パートの日以外は、自宅で一人畑作業をしている方が多いので、皆さんとにかく単独行動。 トラックヤードに連れ帰って他の従業員に無事を知らせると、年配の方から「ルバング島じゃねーぞ」「作戦の終了わがんねがったんだっぺ」と渋いジョークで笑われておりました。

もうすぐ終戦記念日です。福島原発に向かう作業員が、毎朝店のそばからバスに乗り込む様子を見て、今でも被爆に苦しむ広島・長崎の方々を思い起こします。第二次大戦でも、東日本大震災でも、そして日常の草むしりにおいてさえ、情報の発信と共有の重要性は同じです。

送っていただいた『国立国会図書館月報』の掲載内容の中に、これまでの「文献」収集から、情報の保存と共有化の重要性が特集されておりました。個人や一企業では到底不可能な大量の情報を、保存し実社会に活用できる共有化の取り組みに、私自身大いに共鳴いたしました。

先日福島でも北日本図書館大会が開催され、司書をしている従妹も出席していました。震災直後、崩壊を免れた図書館の多くは避難所になっていました。停電の中、活字は唯一の情報源でした。お互いの無事や知り合いの消息について、必要な物必要な人材などパネルに貼られた沢山の情報が共有され、大勢の命を支えていたのです。

東日本大震災は、地方の図書館にとってもその在り方に大きな転換期を与えました。生活が再建された今この時に、早急に当時の状況を資料として収集し、次の災害時に備え、その情報を寸時に活かせる体制作りに取り組んでいるとのこと。各地域の状況に対応するため、その方法にはマニュアルなどなく、作業には地域の住民や近隣図書館との密なコミュニケーションしかないが、このお互いの「距離を縮める」という作業こそが、有事の際の情報発信と共有に大きく役立つと締めくくられていました。

議事録を読み、地方図書館の役割とは、PC、スマホを扱えない0歳から100歳全ての住民にとってのもう一つの重要なライフラインだと痛感いたしました。

添付した写真は、先日実施しました壁新聞の子供達の芋掘りの様子です。場所は地元の文学館で、小川や田畑に囲まれた山のてっぺんにあります。児童図書館も併設されておりミニコンサートや工作教室、講演会などに利用されています。駐車場に畑があり(というよりも畑の中に駐車場がある?)冬には大根が収穫されます。
山道を間違えると避難区域に行ってしまう立地なので、保護者の理解を得られた子供達のみの参加です。地元のお年寄りとの作業でしたが、皆さん口を揃えて子供達が「大人し過ぎる」と驚いていました。子供達側でもズブズブ土に埋もれての芋掘りに怖くて声も出なかったそうです。お年寄りが「土さ、しゃがめ~」(土に座れ)といっても、カクカクして両手を前についてしまうだけ。ミミズを見せても「きゃ~」と騒ぐどころか匂いを嗅いでじっと観察している始末…こんな大自然(ほとんどジャングル)にかこまれているにも関わらず、山間での生活を知らない子供達の実情に参加した大人達は驚きを隠せませんでした。

副館長さんが「土にも芋にも放射能は検出されなかったよ」と報告。ビニール袋いっぱいのジャガイモを抱えて子供達同士「おかあさんとカレー作ろう」「おねえちゃんがグラタン作ってくれるって」などと話していると、お年寄りが「そのまんま けぇ(食え)」と言ったのでみんなびっくり!「生ですか…?」と恐る恐る尋ねる子供に「チンだ、チ~ン」と答えるおばあちゃん。東北人はホントに言葉数が少ないです。たとえ芋掘りの場であっても共有してこその情報ですから「レンジで」の一言を下さい、おばあちゃん。子供達は「仏壇か?」と思ったそうです。




  フラがつなぐ広島といわき

もうすっかり季節は秋になってしまいました…

今年の夏は、広島の災害が福島県民にとって衝撃でした。震災の際、多大な協力をして下さった広島の方々に心を痛めております。福島からも微力ながらボランティアの方々が現地でお手伝いさせてもらっています。私達も募金という形でしか協力できない事が歯がゆい思いです。

ちょうどこちらのお盆の週に、広島のフラダンス部の高校生が、いわきに慰問で来てくれました。広島の災害があった直後のことなので、こちらには来られないかもと心配しておりましたが、沢山の仮設住宅をまわり、途中私のお店でお昼を食べて休憩し、演技も披露していきました。引率の先生に「地元が大変な時に申し訳ありません」と言うと「子供達を連れてきてよかったです。広島に帰った時、ここに来たからこそ、自分達が地元で何をすべきかが分ったんじゃないかと思うんです」と話してくれました。また慰問に行くために迎えに来たバスに乗り込む時、生徒さん達みんなが「来年も来ます」「広島に来てくれている福島の方に今日の事伝えます」と言って手を振ってくれました。

後日、彼女等の慰問の記事が地元の新聞に掲載されました。そこには「フラダンスの聖地で慰問」という見出しが…。フラダンスの聖地はハワイ。いわきにあるのはハワイアンズ。でも、引率の先生の言葉にもあったように、福島が「次世代への継承の」地として、その教訓が広島をはじめ世界中に活かされつつある事を思うと「聖地」という言葉にも重みが増してきます。

こちらは朝晩とても冷え込んでおります。関東はまだまだ残暑厳しいことでしょう。季節の変わり目、お体大切にお過ごしください。


  いわきの桜を気仙沼へ

昨年より子供達と、各家庭で桜の苗木を育てています。被災した沿岸部に植樹したいと思い、従業員の方にも声をかけて協力してもらっています。地元で植樹がしたかったのですが、何分こちらの沿岸地域はまだ震災時の漂着土砂などが未処分のままで、黒いビニール袋が並んだ状態なので、立ち入ることが出来ません。(中間貯蔵施設の建設場所で揉めているうちに、ビニール袋はすでに劣化してボロボロになってしまいました。)

先月「吉さん、木どうすっぺ? すんげ~育ってんだげんちょ?(育ってるんだけど)」と植樹に協力してくれている同僚が聞いてきました。「う~ん、どーすっぺねぇ…」と答えながら、私はプレゼントのフカヒレパイの箱を開けていました。手紙を見て、ふと、頂いていたメールの内容を思い出し「気仙沼だったら?」と考えました。

そこで、気仙沼の同僚にお願いしてボランティア団体を紹介してもらい、階上地区に木を植えてもらう事になりました。次に郵便局に頼んで木を運んでもらえるようにお願いしました。初めに「苗木を…」とだけ言いましたら、「大丈夫ですよ」とすぐお返事が帰ってきたのですが、「実は――1年間育ててましたところ――かなりでっかくなっててまして…」と少しずつ状況を説明していくと「本局の集配所に持って来てくれれば」と言うので「実は… 18本あるんです、ごめんなさい!」と一気にバラすと「…わかりました。取りに行きます」と了承して下さいました。電話を切ってから「あいかわらず見事な強引っぷりだったよ」と課長に拍手されました。

子供達にも気仙沼図書館ことを手紙に書いて、気仙沼の階上地区の写真とともに植樹先が決まった事をお知らせしました。苗木の嫁ぎ先が決まりホッとしています。(結婚もしていないのに娘を嫁に出す母親の気持ち?) 9/27の活動でみんなの苗木を集めて気仙沼のボランティアさんのもとへ送る予定です。

先日NHK東北版のニュースで気仙沼の図書館についてミニ特集があり、父兄の方が番組を見ていたそうです。「今まで行ったことのない地域のニュースだったけど、フカヒレクッキーを食べて、手紙を読んで、今度は今自分家のベランダにある木がそこに植えられるって聞いて、不思議と気仙沼を身近に感じます。震災の後、自分達がいかに地元の事しか考えていなかったのか、改めて気付かされました」とお買い物に来ていた際、話されていました。

東北は朝晩すっかり冷え込んでおります。鈴虫も鳴いておりません… 関東はまだ残暑が残って厳しいことでしょう。お体どうか大切に。


  新米の季節

一昨日、無事気仙沼に震災を生き延びた苗木を送る事が出来ました。「子供たちには、おじさんが届けるって言ってあるから、話あわせてネ」と荷物を取りに来た郵便局の局員さんに事前打ち合わせしていたので、おじさんもノリノリで「確かに受け取ったよ、気仙沼まで届けてくるね!」とガッツポーズをしてくれたので、「バイバーイ」「おじさん、がんばってー」と去っていく配送車に熱い声援を子供達は送っていました。さすがに小学6年生達は、車で5分の郵便物集配所に運んでいくだけという事を知っているので、後ろでニヤニヤしておりました。





その後、今春に体験学習でお世話になった三重県の民宿から送られてきた新米で、おにぎり大会をしました。(大会という言葉を使うと、がぜん子供達が燃えるので、私は何でも大会にします。【草むしり大会】【ペットボトルキャップを洗おう大会】などなど…) 当日、運動会や空手の試合、吹奏楽部のコンクールなどで活動を欠席した子供達には、前もってお米を少しずつですが、おすそわけしておきました。夜に、欠席した子供達から電話が来て、各々のお母さんが三重の新米をお弁当に持たせてくれたようで「運動会3位になったよ」「市大会勝って県大会行けるよ!」「新米食べたら村長さんとおかみさんの顔を思い出してウォーってがんばった」と嬉しそうに話してくれました。 「炊きたてのご飯を覗いてみよう!」とみんなで炊飯ジャーの蓋を開けたら蒸気が熱過ぎて「よ、よしさん!あつくて の、のぞけません…」とみんな一斉に目を覆ってのけ反りました。小学6年生以下は、おにぎりを握った事が無いとのことで、熱いご飯を手のひらに乗せたまま、走り回っておりました。「ご馳走っていう字は、馬が走るって書くんだから、走れ走れ~」と煽ったところ子供達は「ごちそう、ごちそう」と呪文のように唱えながら、会議室をぐるぐる回っておりました。




こちらいわきでもそろそろ新米の声が聞かれるようになりました。でもJAが前金として支払う新米の概算金が、昨年より2~4割も下がり、過去最低とだそうです。行政から発表された減額の原因は、需要の減少と過剰在庫東日本全域による豊作といった複合的理由との回答でした。壁新聞の子供達の家や、職場の同僚にも兼業農家が多く、話を聞くと「震災前は新米が採れると、遠い親戚や知り合いに送ったもんだけど、今はやんないね」「うちが貰う側だったら ちょっとビビる」と言い【秋田産】【宮城産】などを選んで買っているとのこと。「自分ちの米は、じいちゃん、ばあちゃんがせっせと食ってるハハハ」と笑っておりました。

『米の低価格は消費者に、米戻りの意識と、新消費税導入後の消費の冷え込みに恩恵をもたらすだろう』という記事に笑って話をした同僚の家では、旦那さんが震災後、稲作農家を続けるために資金繰りに奔走しているのが内情です。思い出すと胸が痛くなりました。

御嶽山噴火の悲報は、福島県民も他人事ではなく悲痛な思いで聞いております。福島には活火山がなんと5つもあります!【おはら庄助さん】の唄で有名な磐梯山は特に24時間体制で観測する「常時観測火山」に指定されているほどです。にもかかかわらず、震災後自粛していた登山客が、今年になって盛り返し、夏頃から多くの人々で賑わっています。山頂は、茹で玉子の臭いがします。硫黄ガスのせいです。御嶽山の噴火の映像は、彼ら登山者にとって衝撃だったことでしょう。

民謡【会津磐梯山】は庄助さんが呑んだくれで身上を潰す話ではなく、笹に黄金が成下がる程の豊作を唄った内容で、磐梯山の麓が昔から米どころ、酒どころであったことを誇りに県民に唄い継がれてきました。(他県での出張の際、カラオケで歌うと、みんな酔っぱらっているので異常に盛り上がります)

「買わない米に支援をしたって…」「無利子で融資をしたって返せるあてはあるのか」意見は県民でも大きく分かれています。磐梯山の麓で鍬を持つ背中に、【おはら庄助さん】の影はなく、御嶽山の噴火に重なる悲鳴の声が聞こえてくるようです。

上記の内容を鑑みて、いわき市は今年の12月より、市内小中学校の給食に、いわき産のお米を使用する事を発表しました。もう喧々諤々です。不安を感じている保護者への対応として、お弁当の持参を容認という中途半端な対策です。現在は震災後、他県の米を使用している状況です。保護者達にこの件について聞いてみると「給食だけは安全かと思ってたのに」「朝忙しいのに弁当なんて勘弁してよ~おかずだけ食べるように言うか?」「パンだ、パン持たせるよ」などなど行政の思惑通りにはいきません。

子供は自分達が食する米を選べません。じいちゃん、ばあちゃんと同じ米で、子供達がおにぎりを食べられるように、大人は馬を蹴る思いで駆け回らなければならないのです。

この日はなんと30コのおにぎりができました。子供達はみんな「じいちゃんとばあちゃん」「にいちゃん」「おかあさん」などフードパックに名前を書いて自信作をお土産にしていました。小学2年生のパックに「ふにんのおとうさん」と書いてあり、冷や汗が!踏み込んでは行けない問題か?と思いつつ恐るおそる聞いてみると「おとうさんだけ仕事で遠くに住んでて、今日帰ってくるの」との答え。迎えに来たお母さんに「大変ですね」と言ってお土産を渡したら、馬から転げ落ちる勢いで悶絶しておりました。おはら庄助さんの末裔はちょっぴりいじわるでした。

オープンキャンパスのご準備にお忙しいことと思います。皆様の秋が実り多きものでありますように、子供達と祈っております。

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