三年目のいわきを訪れて

同窓会ホームページ 編集担当
文化情報 9期生 宮澤由江

 同窓会ホームページの編集担当をお引き受けしてから約一年半が過ぎた。その間にたくさんの記事の掲載をサイバー窓口にお願いしてきた。その中でもっとも多く掲載をお願いしたのが「いわき通信」である。
 「いわき通信」は文化情報12期生の吉田さんから送られてくるメールをまとめたもの。いわきに暮らし、いわきで働きながら支援活動をしている吉田さんから受ける報告は、全国的に配信されるメディアからは決して得られない生の声がある。ご存知のとおり、彼女の軽妙でかつユーモアにあふれた語り口は、彼の地のご苦労を吹き飛ばすかのような明るいエネルギーに満ちている。東北人の強さをあらためて実感する語りだ。
 そんな吉田さんとは今までサイバー上でのお付き合いしかなかったのだが、今回、同じ松岡ゼミ修了生である友人といわきに彼女を訪ねることができた。計らずも3月上旬にこの機会が得られたことは大きかったと思う。
 以下、私個人が見たこと、聞いたことをご報告します。


追悼のキャンドルナイト
 一泊二日のいわきへの旅は、あの「フラガール」で有名な「スパ・リゾート ハワイアンズ」の送迎バスに乗るところから始まった。復興の一つのシンボルでもある「ハワイアンズ」も見てみたかったからだ。この施設は首都圏各地や仙台から無料送迎バスを運行していて、このサービスが多くのリピーターを生み、一つのビジネスモデルを提示している。だが、この施設を含むいわき湯本温泉郷の抱える問題は単純ではない(このことについては後述します)。
 その日は3.11直前の日曜日だったので、各地で追悼行事が行われるとのこと。吉田さんから私たち二人も、その一環である「追悼キャンドルナイト」へのお誘いをいただいていた。早めに夕食を済ませ、吉田さんの案内で市の中心部にある「いわき文化交流会館Alios」へ。
 会館前の緑地は静かな空気に包まれていた。しっとりと冷たい夜の空気の中に柔らかく暖かい光の列が連なっていた。光の列に沿ってそぞろ歩く市民の方たちに混じって、私たちも公園の小道を歩く。キャンドルの一つひとつにそれぞれの思いが書かれていた。ろうそくの柔らかい光の揺れが、今生きている一人ひとりの営為を語っているかのようだ。美しく暖かい光の列だった。
 昔からの燈明を立てて故人を偲ぶという伝統は、我々日本人の中に深く根差している。人は灯りの中に過去を思い、それを見つめる今の自分を思う。並んだたくさんの灯りはそれぞれがそれぞれに揺れていた。一つの形に止まることなくゆらゆらと動き続ける灯りのさまが、時間は途切れることなく流れていることを感じさせた。


復興のシンボル
 その後、投宿のハワイアンズに戻って、ここの目玉である「ポリネシアンショー」を観覧した。若くて元気いっぱいなフラガールのダンスと歌は、ここが日本の東北地方であることを忘れてしまうほど南国色だった。ハワイアンズは震災で壊滅的被害を受けて一時休業したが、その間も地元福島を知ってもらおうと、ハワイアンズのフラガールが「全国きずなキャラバン」として全国を廻ったのは皆さんもご記憶だろう。そうした努力の結果、再オープンしてからも順調にビジネスを展開しているようだ。
 しかし一方、その他のいわき湯本温泉郷施設は、現在でもほぼ全域、通常営業は困難を極めているのが現状だ。地殻変動の影響で頼みの温泉が出なくなってしまったからだ。ハワイアンズのような大資本の企業はまだしも、個人経営の旅館は温泉を再度掘削することはとても難しい。
 その湯本温泉の施設は主に除染作業員の宿泊所となっている。除染作業員は全国から集まってきており、作業は1日4時間。早朝からの作業は昼過ぎには終了する。その後作業員の人達は自由に過ごすこととなるが、取りまとめているのは民間会社。どうしても作業員の仕事以外の生活までは管理できない。単身で福島に赴任している人がほとんどである上、娯楽施設も少ないことから、日中からの飲酒やトラブルも増えているそうだ。受け入れているいわき市が抱える問題の一つである。


インフラ――いわき市民と避難市民
 現在もいわき市民は飲み水にはペットボトルを飲用していると聞く。その他の生活用水は水道水を使用しているものの、その不便さは並み大抵ではない。一部ではいまだに給水車頼みの地域もある。飲料用のペットボトルの購入だけでもたいへんな仕事量だ。高齢者にとっては大きな負担となっている。
 いわき市は福島第一原発付近の住民約2万4千人を受け入れており、その数は福島県内の市町村で最多である。さらに除染・復興事業の作業員も加わり、インフラのキャパシティが限界にきている。慢性的な交通渋滞(平日の朝晩や休日の渋滞は首都圏並み)をはじめ、医師・看護師も不足(人口10万人あたり医師122.5人、全国ワースト2位)している。避難市民の流入とともに医療機関の利用が急増したからだ。病院は常に満杯、フル稼働しても追いつかない状態が久しく続いている。いわき市が抱えるもう一つの大きな問題である。
 いわき市も津波による大きな被害が出たが、東電の保証を受けている避難市民との保証格差で双方に軋轢が生じている。具体的な数字は差し控えるが、その差はかなり激しい。たまたま乗車したタクシーの運転手さんもこの件については「原発の被害に対しては気の毒だと思うが、保証の格差があり過ぎる」と憤りを隠せない様子だった。実際、家族で避難している場合、通常の労働所得を超える金額が毎月支給されているという。津波で全てを失ったいわき市民へは見舞い金だけだ。
 公立小学校も避難者の子ども達は別の「特別クラス」で、教員も元の地域の教員が教壇に立つ。また避難者で看護師・介護師資格を持っていても、いわき市内で就労はしてくれない――なぜか? いわき市に転校したりいわき市で就労したりすると、東電からの保証が受けられなくなってしまうからだ。
 事態はほんとうに複雑だ。県外に避難しているいわき市民で帰還希望者は8万人を超えている。だが受け入れたくても今のシステムではインフラが追いつかない。そのため本来協力し合って復興を目指すべき受け入れ地域の市民と避難してきている人々の間には、簡単には埋まらない溝ができてしまっている。
 だが議論は最終的に常に原発に辿り着く。吉田さんは「ここが阪神淡路大震災とは違うところ」だと言う。


だれも入居したがらない災害支援住宅
 翌日はいわきの海岸にでてみた。風の強い日だった。冬の乾燥した空気にからりと晴れ上がった空はさえぎるものさえなく、どこまでも青かった。海も青かった。だが船は何も浮かんでいない。道路脇には除染された土の入った黒い袋。海はいまだに回復していないのだ。
 海岸線は建物の基礎だけを残して更地が延々と続いていた。一人でいたわけでもないのに孤独感を感じた。それでも重機が入って整備作業をしているのが目に入ってくるとなぜかほっとした。
 海岸線から500メートルばかり入ったところに5階建ての集合住宅が建設中だった。災害支援住宅だ。「ああ、これか!」と思った。>
 「行政が災害支援住宅の建設を始めたけれど、何を考えたんだか、海岸線に建てているんですよ! あんなに海に近かったら、みんな怖がってだれも住まないですよ…」
 前日に吉田さんから聞いていたことだ。付近に何もない辺ぴな地域に建てられた仮設住宅、海岸線近くの災害支援住宅――どうしてこのような判断になるのだろうか。市民の不信感をはらんだまま工事は着々と進んでいる。

 いわきには美味しいものがたくさんある。だがいまだに風評被害が多く出てのいるのも事実だ。いわき市内の海産物を扱う企業では商品にこんな表示をつけている。

――安心・安全・美味しい・美しい商品づくりを目指して――
当店の商品は全て、放射能物質の基準値を確認し、安全と認められたものです。
どうぞご安心してお召し上がりください。
尚、ご存じとは思いますが海産物につきましても出荷・摂取制限となっておりますものは出回っておりませんのでご安心くださいませ。


このような表示が一日でも早く必要なくなる日を思って、いわきを後にした。

 たった一日半のいわき訪問でしたが、メディアでは報道されない側面を見た思いがしました。月並みな表現になりますが、震災後三年を迎えて、今一度、私たち一人ひとりが個人的にも政治的にも考えなければいけないのだと思います。
 これからも同窓会ホームページでは吉田さんからの「いわき通信」を通じて皆さんにいわきのほんとうの姿を発信してまいります。
 今後とも皆様方のご理解、ご支援よろしくお願い申しあげます。

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